当山は江戸時代からこの地において、人々の心のよりどころとして、たくさんの信仰を集めてきました。
しかし、令和の時代になり、価値観が大きく変わり、供養のかたちも変化しています。
従来の檀家制度にとらわれることなく、永代供養や日常の参拝を通してみなさまのお気持ちに寄り添った
ご供養を心掛けています。
また、花まつりなどの年中行事に参加して頂くことで仏教とのご縁を結んで頂けましたら幸いです。
みなさまの日輪寺へのご来山をお待ちしています。
住職 | 輪田 友博(わだ ゆうはく) 第18世 |
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経歴 | 1983(昭和58)年、愛知県春日井市生まれ。 大正大学人間科学科在学中、比叡山行院にて加行。 大学卒業後、平成31年3月まで、13年間公立小学校の教員と住職の二足の草鞋を履く。 同年4月から寺院専業。春日井市上条町の大光寺の住職も兼務。 |
当寺は万治3(1660)年、西春日井郡味鋺村の満願寺を移転し、同郡小田井村の天台宗願王寺より山号を承け光雲山日輪寺と称し、栄秀阿闍梨が寺を開きました。
当時は、願王寺の末寺でした。栄秀和尚は済民慈民の念厚く、味鋺原新田開発の大事業に尽力しました。寛文12(1672)年、第二世栄盛和尚の代に大洪水にて朝宮に漂着した地蔵菩薩の尊像を勧請し、本尊仏としました。(東春郡誌)
また、一説に犬山の入鹿池付近にありし白雲寺が廃寺となり、同寺の僧が地蔵尊を背負い当寺に寄託したとの説もあります。しかし、由来については定かでありません。
本尊は春日井市の文化財に指定されています。
文化元(1804)年、第10代真純和尚の代に現在の熊野町にある密蔵院の末寺となりました。明治前は寺領10石あり、神仏分離まで日輪寺南にある白山神社の別当を務めていました。
現在も同神社の大祭には当寺祠祭の白山大権現に供物の奉納を続けてます。
日輪寺の宗派は天台宗。
伝教大師 最澄が1200年前に比叡山で開きました。
比叡山では、多くの僧侶が仏教を学び、各地で宗派を開いたことから、「仏教の母山」とも言われています。また、日輪寺は江戸時代に白山神社の別当を務めており、今でも祭礼のときには繋がりが続いています。
令和の時代になり、供養のかたちも様変わりしてきました。
ご家庭の事情に合わせてお話を伺い、心のこもったご供養をさせて頂きます。
花まつり、お彼岸、施餓鬼会をはじめとする季節の行事を行っています。
ぜひ皆様お揃いでお越しください。
14畳の和室です。法要の前後にお使い頂けます。
手すりが各所に設置されているためどなたでも安心してお参りして頂けます。
室内はお手洗いも含めて車いすに対応しています。
天台宗は今から1200年前の延暦25年(806)伝教大師最澄によって開かれました。その教えは・・・
第一 | 全ての人は皆、仏の子供と宣言しました。(悉有仏性) |
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第二 | 悟りに至る方法を全ての人々に開放しました。 |
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第三 | まず、自分自身が仏であることに目覚めましょう。 |
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第四 | 一隅を照らしましょう。(一隅を照らす運動) |
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日輪寺の向かい側には1659年に還座し、360年を迎える味美白山神社がございます。味美地区の氏神様としてだけでなく、味鋺地区(現名古屋市北区)の崇敬神社として地域周辺の方々に親しまれ、地域と共に歴史を刻んで参りました。現在でも周辺地域はもとより、春日井市全域、名古屋市、小牧市など近隣や愛知県周辺から、時には県外など遠方からもご参拝頂くお社です。毎月5日、15日、25日には五の市が開催され多くの人々が集まっています。